「ひいらぎ」は、磯子地区二番目のグループホームとして、平成16年8月に誕生しました。
「アレグリア」の開所のときには、本人、家族ともに「グループホームが海のものとも山のものともわからない」とおっしゃる方や「車椅子だから入るのは無理」「重度障害だから親以外では生活を見られない」という感じを持っていた方が多かったと思います。しかし、アレグリアで生活をしているメンバーさんの様子を見て、「うちの子もグループホームで生活できるのではないか」「グループホームで生活させてみたい」「生活していく力はあるのではないか」と感じる方が増えたようで、グループホーム建築の希望が多く出されました。
本人たちからも「グループホームに行きたい」と声が上がりました。本人、家族の希望を合わせて17名になり、「ひいらぎ」を建築するための物件探しを始めました。
ここでも、障害者に対する見方や理解が乏しいことを痛烈に感じました。どんなに説明をしても「障害者に新しい建物は必要ない。誰かが住んだ後の物件を借りるのが妥当だ」「近所に説明がつかない」などといった理由で物件が決まらず、内覧した物件は30件以上、使いたいと思う物件はいくつかありましたが、そのたびに「障害者の方には……」と断られ、物件探しはアレグリアよりも難航。1年を費やしました。
物件探しが難航しているさなか、アレグリアを建築してくださった方から外出先の携帯電話に「新しいグループホーム建築に協力する」という一報をもらいました。その土地は、アレグリア建築時に一度候補になったものの、家主さんの思い入れがあり、今後の使用についても決められていると聞いていたので使用は難しいと思っていた場所でした。交渉は順調に進み、建築へと移っていきました。
アレグリア同様、重度重複障害の方、体の大きな方、知的障害の方でも対応できるよう、図面は全てこちらで引くことも了承していただき、建物が完成しました。建物には「集」の活動のひとつであるベーカリー「Pa・Pan」も同居しています。
あるメンバーさんは、「ひいらぎ」に帰った後、駅前の本屋まで行き、大好きな「TVガイド」を買って、お気に入りのテレビ番組を確認することを楽しみにしています。そして、大好きなワープロでスタッフやヘルパーさんの名前などを打ちます。夜中まで続けていることもありますが、自分の時間を自分のために自由に使っているという満足感が感じられます。
今まで長年家族と「集」スタッフからの介助で生活してこられた方は、ヘルパーさんという新しい支援者に戸惑い、支援を受け入れられない日が続きました。しかし、メンバーさんとしっかり向き合い、丁寧に関わり続けることでヘルパーさんからの支援を受けることができ、現在では多くの人からの支援を受けています。そして自分の部屋の机で大好きな絵を書いたりテレビを見たりしながら、自分なりの生活を楽しんでいます。
ひいらぎのエピソード・Case1
帰る家はどこにある?
「ひいらぎ」での生活が始まったある日のこと、あるメンバーさんが「集」の活動中に精神的に不安定になってしまいました。
玄関に来て靴を履き替えドアを開け、外に出ようとしていました。グループに戻るよう促しても外に出ようとする気持ちは治まりません。「ひいらぎ」での生活が始まって間もない時期だったので「ストレスが溜まっているのだろうか?」「実家に帰りたいのだろうか?」いろいろなことを想定しました。その時、あるスタッフが「本人の気が済むようにしてあげよう。一緒にスタッフがついていけばいい」スタッフが後ろに付き「集」の外に出ました。
本人は、何の迷いもないように歩いて行きます。それは、実家に帰るバス停の方角ではなく「ひいらぎ」に向かっているようです。振り向きもせず「ひいらぎ」にたどり着くと、自分のお気に入りのソファーに横になり、気持ち良さそうな、安心したような表情を見せました。
実家ではなく「ひいらぎ」に向かった足……自分が帰るべき場所であり、安心できる場所がある。この出来事は、今後の生活に大きな力となると確信しました。
ひいらぎのエピソード・Case2
生活の変化で起こったストレス
四十年来、家族の手厚い介護のもとで生活してきた人が「ひいらぎ」の生活を始めました。言葉で訴えることが困難なメンバーのストレスはとても大きいと感じました。生活が始まって二カ月が過ぎようとしたとき、体が悲鳴を上げはじめました。
食欲不振による体重の減少、体力の低下、それまで片側からの介助だけで歩いていたが自分で体を支えられない程になり歩行も困難に……。病院で見てもらっても原因は不明。メニューの選定や調理の方法など、できることはやりました。しかし、体はさらに悲鳴を上げて尿が出なくなり、導尿をしてもらって採尿器をつけての生活になりました。初めての採尿器に違和感を感じ、しきりに不快感を訴えていました。
十日ほどたった頃から、徐々に食事を摂りはじめ、表情にも変化が見えました。「オー」「どした」などと声も出るようになり、体調が戻りつつあるのが感じられるようになりました。さらに十日ほど経つと採尿器も外れ、食事も摂れるようになり、歩行も元に戻って生活が安定してきました。
この経緯をご家族はとても心配し、どのように支援していくかを話し合いながら進めていきました。
今回は、ご家族が信頼してくださったため、実家に帰らず「ひいらぎ」で支援できました。言葉で訴えることが困難な方には、よりきめ細かで丁寧な対応と様子の観察、言葉として出てこない「心の声」をいかに感じ汲み取るかが支援の鍵となると改めて感じた出来事でした。